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真宗の泣きどころ

 2016年4月〜2019年3月まで、京都・西本願寺に勤めていました。「布教研究専従職員」という嘱託職員です。


 「布教研究専従職員」とは、本願寺や大谷本廟へ参拝に来られる方々などを対象に、法話や布教研究に従事する、非常勤職員のことです。(3年まで契約更新できます)


 多くのことを経験させていただき、周りに支えられた感謝の3年間でした。


 最後の1年間は、初縁者(いままで法話やお寺にご縁が遠かった者)を対象とした布教伝道について考えさせられることが多かったです。法話の内容に限らず、その環境や方法についても考えさせられました。


 いろいろ思い出を書こうと思ったのですが、煩雑になるので、今回は「真宗の泣きどころ」と言われる15の問題提起について紹介させてください。


 これは、昭和37(1962)年に、高木宏夫先生(1921~2005)という宗教学者が、宗門の問題を15項目にまとめた提言です。浄土真宗の僧侶として、何が必要なのか考えさせられる15項目です。


 

1 僧侶の方で熱心な燃えるような信仰の人に出おうたことがない。


2 なんとかせねばならんと幼稚園などいろいろやっておられるが、それが信仰中心になっていない。


3 大衆を教えてやるという姿勢ばかりで、信仰中心に、一般と共にという態度がないと。


4 真宗の坊さんには、知識のあることが信仰のあるように錯覚している。知識だけで大衆との触れ合いがなく、インテリすぎて、一般から浮き上がっておる。


5 布教が老人層には向けられているが、なぜもっと壮年層にはたらきかけないのであろうか。


6 浄土真宗は、現代の人類、現代の文明に、何を果たし、何を答えていくかという宗教運動となっていない。


7 ひとつ、大衆との接点が、儀礼だけでつながっている。大衆活動家を育てようともせぬが、また育つ余地もない今の真宗では、ただ今ある寺院を育てるのが精一杯じゃないか。


8 墓地と行事にのみ教団をささえる根源を有しているようだが、これでいいかと。


9 伝道をただ真宗の教義を平易に説くことと思いあやまっていないか。教義を平易に説くだけでは伝道とならん。それは講義だ。伝道は、人間ひとりひとりの苦悩に触れていかねばならない。


10 現代人は、真宗の教義がわからんと言って悩んでおるようなひまな人はいない。貧、病、争、事業の失敗等を縁として人生の見通しと安らぎを求めている。


11 宗教は生きていく方向と主体の確立を与えねばならない。価値体系が、近代的にはっきりと打ち立てられていない真宗では、大衆の価値転換が行われない。どれだけその人が法を聞いて価値転換されたかというようなことが注意されていないではないか。


12 真宗の教理も順を追うて段階的に教えられるべきものであろう。そのへんの研究が足りない。


13 新しく寺を立てようとする人たちを大きく育てる面が欠けていないか。むしろ、たたき落とそうとするように見えるがどうか。


14 人間が実力主義に人材が使われていない。宗門で、ひとつ、機関誌、つまり『本願寺新報』と『大乗』ですね。機関誌がもっと大衆向きになり、信者側にたって、この運動の武器とならねばならんと思うがどうか。


15 一方通行の布教だけで、両方通行、多方通行の「話し合い 法座活動」が行われていない。人間は人と人との触れあいの中で育てられ成長する。ことに、現代人にとって大切な一対一の布教が行われていない。           ……そんなことを思うがどうですか。


 

 昭和期からすでにこのような問題提起がなされていたことに驚きです。


 提言から60年弱が経過した今日、私たち教団は、どれほど課題に克服できているのでしょうか。この「真宗の泣きどころ」を題材に、各提言の当否を含め、今後の取り組みについて議論するのも意義があるように思います。

 

 教団に所属するひとりの僧侶として、引き続き考えていこうと思います。



「築地本願寺の隣にあるお寺、法重寺」


#真宗の泣きどころ #伝道の課題 #実践


 

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