2月5日~6日の2日間、お坊さんの研修会で、富山県の高岡まで行って参りました。
第二連区青年布教使研修会。
本願寺関係でない方々には、意味不明な名称であることでしょう。
「布教使」とは、積極的に伝道活動を志す者が、中央機関での試験を突破して授与される資格所有者のことで、いわば法話(説教)の専門家として見られる立場の者のことです。
布教使は全国に老若男女存在しますが、「青年布教使」となると、おおよそ40代以下の若手布教使のことを指します。
また「第二連区」とありますが、浄土真宗本願寺派では、全国を5連区、32教区(31の教区と沖縄開教区)に分けて教務所を設置し、500以上の組(そ)に地域割りしています。
今回の研修会は、第二連区ですので、富山、高岡、石川、福井、岐阜、東海エリアになります。
つまり、このたびの「第二連区青年布教使研修会」とは、富山、高岡、石川、福井、岐阜、東海エリアの若手布教使が集う研修会です。
ちなみに、私の所属している法重寺は、第一連区・東京教区・中組になりますので、普段は「第一連区」の研修会に参加することが多いです。
この度、縁あって他の連区の研修会に参加する機会に恵まれ、第二連区の高岡まで出張に行ってまいりました。
東京駅より新幹線に乗って、着いたのは、富山県北西部の新高岡駅。
富山といえば、魚を食べたいところですが、仲間と話題になったのは…
ブラックラーメン。
通常の醤油ラーメンを想像して行くと「まじかよ…」と面食らってしまうとさえ言われる、濃口しょうゆを煮詰めた漆黒のラーメンです。
早速、歩いている中で、見つけました。
評価はまずまずでしたので、早速入店。ラーメン(チャーシュー二枚入り)を注文。
黒い。濃い。
調べてみると、賛否両論あるようです。なかには癖になる人もいるのだとか。
たしかに、一口目は美味しくいただきましたが、味が濃すぎて、すぐに飽きてきました。が、徐々にその独特の濃さが癖になってきて、結局あっというまに完食。美味しくいただきました。
さて、話は研修会に戻ります。
会場は、高岡会館。
この度の研修会のテーマは、
高校生の声から「人々の苦悩に応える法話」を考える
というものでした。
1日目は、まず「同朋研修」として、登尾唯信先生による講義「布教と差別〜過去の事件に学ぶ〜」を拝聴しました。
続いて、テーマ(高校生の声から「人々の苦悩に応える法話」を考える)に沿った研修が行われました。
高岡教区射水組妙万寺・伏間彰彦氏による問題提起の一部をご紹介します。
高岡教区布教団では、2年前より「青年布教使大会」を高岡龍谷高校の宗教行事の場を借りて開催し、聴聞した高校生にアンケートを行っています。そのアンケートから明らかになった課題は、「伝えたい側と聞きたい側にすれ違いや乖離があること」「仏教は『人間関係』や『いじめ』『将来のこと』『死』に関する問いにどう応えるのか」という事でした。
(当日配布資料より抜粋)
問題提起ののち、引き続き三班にわかれて班別討議を行いました。
班別討議では、イ)問題提起の感想、ロ)アンケートの内容(高校生の声)の感想、ハ)私にとっての「人々の苦悩に応える法話」、の三点を中心に意見を共有しました。さまざまな想いや意見を聞くことができました。
2日目は、勤行ののち、福井教区敦賀組・浅井一典氏による法話を拝聴しました。阿弥陀如来のお心を「いただく」ということはどういうことなのかについて、旅行先でいただいたおもてなしの心を例えに、お話くださいました。
続いて、全体会が行われ 、 休憩後、脇谷暁融先生による「まとめの講義」を拝聴しました。
すべてを書ききれませんが、一部を紹介させてください。
・「人は人に寄り添えない」という現実(維持されるべき距離感)が前提にあるなか、それでも寄り添っていきたい(応えていきたい)という願いをたてて歩みを進める姿勢が求められる。
・人々の苦悩に応えるためには、社会に潜む構造的な差別(例えば「いじめ」「虐待」など)を見抜く視点を学び続ける必要がある。日々の研鑽を通して、感受性をつねにアップデートしていかなければならない。「御同朋の社会をめざす運動」(実践運動)は、そういう意味でも連関していく。
・身をかけた言葉(教えの内容を説明するよりも、教えを聞いた私がどのように変化していったのか)をもってお話することが大切である。
(筆者取意)
二日間の研修会を通して、あらためて「人々の苦悩に応える法話」とは何なのかを考えさせられました。
総じて、私自身のすがたが問われているということに気づかされた有意義な研修会でありました。
高岡教区布教団のみなさま、第二連区のみなさま、有難うございました。
『築地本願寺の隣にあるお寺 法重寺』
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